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2013.05.22 御土居
DSCN5497.jpg

聚楽第や寺町などの京都改造計画の1つとして作られた。
防衛の為ってよく言われてるけど、実際の所は目的を記述した文献が残ってないので推測なのが現状。
江戸時代以降は鴨川や紙谷川の部分が堤防として活用された。

明治時代に幕府所有の土地が民間の所有になり、市街地拡張による住宅開発でぶっ壊されていく事に。
これはやべぇよと焦ったのか、残った御土居を保護する為に1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。
ちなみにWiki先生曰く、御土居の破壊が主に始まったのは大正以降。
そして史跡登録されたのが昭和5年・・・ぶっ壊すペース早すぎじゃありませんかねぇ。

DSCN5514.jpg

北区・・・それも鷹ヶ峰の辺りには遺構が多く残されている。
まぁ京都の端っこだし、土地の利用価値が少なかったのだろう。それでも、大部分が現存していないが。
しかし現存してなくても、道路や住宅の集まり方で御土居があった場所を見る事が出来る。
御土居の跡地に合わせて、旧土居町という町割りが細長ーく伸びている。地形図で見ると中々シュール。

DSCN5511.jpg

御土居は元々、土塁の外側に堀があった。おそらく堀を掘って、その土で盛ったのだろうか。
大宮土井町の御土居は良い状態で保存されており、本来の姿を見ることが出来る。
写真だと左側の平地が堀。流石に現在では水は張られていないか。

DSCN2973.jpg

大宮交通公園に残っている御土居。ここは史跡には登録されていない。
ここの記事でも軽く触れている。実際、この写真の焼き増し記事なんだけどさぁ。
史跡登録された後も、それ以外の場所は躊躇なくどんどん破壊されていった。
(ちょっとは遠慮しろよ・・・と突っ込みたくなる)

DSCN3364.jpg

画像の選択ミス?いやいや間違いじゃないんだよな、これが。
北野天満宮のもみじ苑も、かつての御土居。
他の場所から遅れ、1965年にこの場所も史跡登録されている。
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